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なぜ日本はイランと仲がいいのか?歴史・経済・外交を一気に解説

国内

日本とイランの関係を総まとめ|シルクロードの縁から「橋渡し役」の今まで

日本とイランは、地理的に遠く離れているにもかかわらず、古代から現代にいたるまで独自の友好関係を積み重ねてきた。しかし2025年〜2026年にかけての中東情勢の激変により、その関係はかつてない試練を迎えているという指摘がある。本記事では、両国の歴史的背景・経済関係・現在の外交上の立ち位置を事実ベースで整理する。


1. 歴史的背景:シルクロードから始まった縁

古代〜近世:シルクロード経由の文化流入

  • 奈良の正倉院には、ペルシャから伝来したとされる「漆胡瓶(しっこへい)」「白瑠璃碗(はくるりわん)」などの工芸品が収蔵されている
  • 736年(天平8年)、遣唐使とともに「李密翳(りみつえい)」というペルシャ人が来日し、聖武天皇に謁見した記録が『続日本紀』に残っている
  • 2016年には平城宮跡から「破斯(波斯=ペルシャ)清通」という役名の木簡が出土しており、当時ペルシャ人が役人として働いていた可能性があるという指摘がある

明治〜戦前:近代外交の始まり

  • 1878年、榎本武揚駐露公使がサンクトペテルブルクでペルシャ国王と謁見したことが、近代外交のきっかけとされている
  • 1880年には吉田正春を正使とする使節団が初めてペルシャを訪問。国王は同じアジアの国として近代化を目指す日本に強い関心を示したと伝えられる
  • 1926年:正式な国交が樹立される(パフラヴィー朝ペルシャ時代)
  • 1935年:ペルシャが国号を「イラン」に変更した際、日本はいち早くこれを正式に承認
  • 1939年:日本とイランの友好条約が調印。国産機「そよかぜ」号がイラン皇太子の成婚を祝してテヘランまで飛行し、熱狂的な歓迎を受けた

第二次世界大戦と国交断絶

  • 1942年4月、英ソ両国による圧力を受けたイランは日本との国交を断絶
  • 1945年2月には日本を含む枢軸国に対して宣戦布告
  • 1953年のサンフランシスコ講和条約調印後、日本とイランは外交関係を正式に回復した

2. 日章丸事件(1953年):親日感情の礎となった出来事

1953年に発生した「日章丸事件」は、イラン国民の対日感情を決定的に好転させた歴史的事件として知られている。

背景

  • イランでは長年、イギリス系のアングロ・イラニアン石油会社(AIOC)が石油資源を独占し、利益が国民に還元されていなかった
  • 1951年、モサッデク首相が石油国有化を宣言すると、イギリスは軍艦を派遣して海上封鎖を断行。イラン産石油の輸送を事実上妨害した(いわゆる「アーバーダーン危機」)

日章丸の行動

  • 経済封鎖によりイラン国民が苦しむ中、出光興産の社長・出光佐三は「イギリスの経済制裁に国際法上の正当性はない」と判断し、タンカー「日章丸」をイランへ極秘裏に派遣した
  • 1953年4月10日、日章丸はイランのアーバーダーン港に到着。国際的な大事件として報じられた
  • 同年6月に日章丸が再び同港を訪れた際には、イラン政府高官だけでなく数千人の民衆が港に集まり、熱狂的な歓迎が行われたという記録がある

事件が残したもの

  • イラン政府は出光興産に対し、当初の契約を見直して石油価格を大幅に減額するという異例の措置を講じた
  • この出来事は石油メジャーによる独占を打破し、世界的に石油の自由な貿易が始まるきっかけの一つになったという指摘がある
  • 「日本が大国の圧力に抗うイランに寄り添った」という記憶は、現代のイランにおいても親日感情の礎として語り継がれている

3. 戦後〜現代:文化・経済の交流

「おしん」ブームと文化的な結びつき

  • 1980年代、イラン・イラク戦争下のイランで日本のドラマ『おしん』が放映され、最高視聴率90%超を記録する爆発的な人気となった
  • 戦後の苦難を生き抜く主人公の姿がイラン国民の共感を呼び、親日感情をさらに高めたという指摘がある
  • テヘラン大学での日本語教育や、日本国内でのペルシア語教育も継続されている

経済関係:かつての緊密な貿易

  • 2000年頃、イランは日本にとって第3位の原油供給国であった
  • 2008年時点の日・イラン貿易総額は約2兆円強(輸出入合計)
  • 日本からの主な輸出品は自動車・機械・化学製品。イランからは原油が輸入総額のほぼ全てを占めていた

4. 核合意(JCPOA)問題と経済制裁による貿易縮小

※JCPOA(包括的共同作業計画)=2015年にイランとアメリカなど6カ国が締結した「核開発を制限する代わりに経済制裁を解除する」という枠組み

制裁の再開と貿易の激減

  • 2018年5月、トランプ政権(第1次)がJCPOAからの離脱を表明し、対イラン制裁を再開
  • 2019年5月、アメリカはイランへの原油禁輸措置を事実上開始。日本を含むすべての国に例外なく適用された
  • 2019年以降、日本はイランからの直接的な原油輸入を停止している
  • 2021年の日・イラン貿易総額は約1.08億ドルにまで落ち込んでいる(2010年の132.5億ドルから大幅減)

現在の主な貿易品目(2021年統計)

方向主要品目
イラン→日本織物用糸・繊維製品(74.5%)
日本→イラン化学製品(23.6%)、電気機器(22.6%)、科学光学機器(10.0%)
  • 制裁前に輸出された日本車はイラン国内で希少品となっており、10年落ちの中古車に2,000万円もの価値がつくケースもあるという

制裁下でも残る潜在性

  • 2016年には日・イラン投資協定が署名されており、国際協力銀行(JBIC)などによる100億ドルの資金支援促進策も合意された
  • イランは人口8,000万人超の中東最大規模の消費市場を持つ。若年層が多く教育水準も高いとされる
  • 世界最大規模の天然ガス埋蔵量を持つとされており、制裁解除後は日本企業の参画余地が大きいという指摘がある

5. 2025〜2026年の中東情勢:激変する現状

「12日間戦争」(2025年6月)

  • 2025年6月13日、イスラエルがイランの核施設・石油施設・発電所などを先制攻撃。双方の攻撃の応酬に発展した
  • 同月22日、アメリカがイランの核関連施設3カ所を空爆
  • イランは24日、カタールにある米軍基地に報復攻撃を実施。ただし外交ルートを通じて攻撃を事前通報するなど、事態のエスカレートを避ける行動を取ったとされる
  • 6月25日、トランプ大統領の仲介により停戦が成立

2026年2月:ハメネイ師死亡・ホルムズ封鎖

  • 2026年2月28日、米軍とイスラエル軍はイランへの大規模軍事攻撃を再開。「壮絶な怒り」と命名されたとされる
  • 最高指導者アリ・ハメネイ師(86)が空爆により死亡。革命防衛隊幹部も複数死亡した
  • イランは報復として、イスラエルや中東の米関連施設・民間インフラへの攻撃を実施
  • 中東の要衝ホルムズ海峡が事実上封鎖される事態となった

核合意の完全崩壊

  • 2015年に締結されたJCPOAは、2018年の米国離脱を機に機能不全に陥っていたという指摘がある
  • 2025年の軍事衝突を経て、外交的解決の枠組みは事実上なくなったとみられている
  • 核合意の主な問題点として以下が指摘されてきた:
    • サンセット条項(合意の規定が一定年数で自動消滅する仕組み)の存在
    • 核爆弾1個分の製造に必要な時間(ブレークアウト・タイム)が「1年」と短い設計だったこと
    • パルチンなど軍事施設がIAEA(国際原子力機関)の査察対象外だったこと
    • 弾道ミサイル開発が合意内容に含まれていなかったこと

6. 日本のエネルギー安全保障とホルムズ海峡問題

日本のエネルギー依存構造

  • 日本は原油の95%以上を中東に依存しており、サウジアラビアやUAEからの輸入分はほぼすべてホルムズ海峡を通過する
  • 2025年12月末時点で、日本の石油備蓄は国家・民間合わせて254日分とされている
  • 備蓄はあるものの、ホルムズ海峡の封鎖は国際原油価格の急騰を招く。物価高と景気悪化が同時進行する「スタグフレーション」(※景気停滞とインフレが同時に起きる経済状態)への懸念が指摘されている

トランプ政権からの「軍艦派遣」要求

  • 第2次トランプ政権は、日本に対してホルムズ海峡への「軍艦」派遣を強く要求したと報じられている
  • 高市首相(当時)は衆院本会議で、「憲法上の制約があることについてトランプ大統領から理解を得られた」と表明したと伝えられている
  • 日本はこれまで、米軍の指揮下に入らず自衛隊が独自にペルシャ湾周辺で船舶の安全確保を行う形をとってきた

7. 日本の外交上の立ち位置:「特別な立ち位置」の維持

橋渡し役としての役割

日本は、米国と強固な同盟関係を維持しながら、イランとも「伝統的な友好国」として対話ができる数少ない国の一つであるという指摘がある。日本政府はこれを「特別な立ち位置」と表現し、活用してきた。

  • 2019年には安倍晋三首相(当時)が現職の首相として革命後のイランに初めて訪問し、最高指導者ハメネイ師らと会談
  • 日本はイランへの自衛隊活動について「透明性をもって説明し続けており」、イラン側も一定の理解を示しているという
  • 全ての関係者に自制を促し、外交努力による事態の鎮静化を求める立場を表明している

現在の課題

  • 日米同盟の維持とイランとの独自外交をいかに両立させるかが、引き続き外交上の課題とされている
  • 核合意の機能不全と軍事衝突によって、日本が活用できる外交的な土台が狭まっているという指摘がある
  • 中東情勢の不安定化は、エネルギーを依存する日本にとってまさに死活問題であり、単なる静観ではなく積極的な役割が求められるという見方もある

まとめ

日本とイランの関係は、シルクロードを経由した古代の文化交流から始まり、明治期の近代外交の開始、1953年の日章丸事件を経て、深い信頼の蓄積として育まれてきた。戦後は原油輸入国と輸出国という互恵的な経済関係が長く続いたが、核問題をめぐる国際的な制裁によって貿易は急減している。

2025〜2026年の軍事衝突とホルムズ海峡の事実上の封鎖は、日本のエネルギー安全保障に直接的な脅威をもたらす事態となっている。一方で、長い歴史的背景から形成されたイランとの信頼関係は、日本が米国・イラン双方と対話できる「橋渡し役」としての外交的な強みとなっているという見方もある。

今後の日本にとって、日米同盟を維持しつつイランとの独自のパイプを保つという極めて難しいバランスが求められる状況が続くと指摘されている。


参考・情報源

  • ソースガイド資料(2026年時点の日本・イラン関係まとめ)
  • 外務省「イラン基礎データ」
  • 日本国際問題研究所「国問研戦略コメント(2025-13)」(2025年6月)
  • 日本国際問題研究所「国問研戦略コメント(2026-8)」(2026年3月)
  • アジア経済研究所「イラン核交渉の停滞と『強制された』12日間戦争」(2025年)
  • Wikipedia「日本とイランの関係」「イラン」
  • 時事通信「イラン情勢 関連ニュース」(2026年3月)

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