その発想はなかった
エクストリームアイロニングとは何か――極限の場所でシャツのシワを伸ばすスポーツの話
山頂で、水深100メートルで、バンジージャンプ中に、アイロンをかける人たちがいる。競技名は「エクストリームアイロンがけ(Extreme Ironing)」。冗談のような名前だが、公式の世界選手権まで開催されている、れっきとした国際的スポーツである。
エクストリームアイロニングとは
エクストリームアイロンがけ(以下、EI) は、「極限状態の環境でアイロン台を広げ、実際に衣類のシワを伸ばす」ことを競うスポーツ。
競技者は「アイロニスト」と呼ばれる。
- 場所の過酷さを競うことが基本であり、アイロンがけそのものの腕前も審査対象となる
- 「家事の平穏さ」と「極限状態のスリル」を掛け合わせたコンセプトで、イギリス発祥
- 評価軸は「スタイル(創造性)」「スピード」「クオリティ(仕上がり)」の3点
- 現在はSNSでの「いいね」数もパフォーマンス評価の一指標となっている
誕生の経緯
1997年、イギリス・レスター市。
ニットウェア工場勤務のフィル・ショウ(通称:スチーム)が、仕事から帰宅後、溜まったアイロンがけを前に「夜はロッククライミングに行きたい」と考え、両方を同時にやることにした。
これがエクストリームアイロンがけの起源とされている。
- 1999年:ショウはアメリカ・フィジー・ニュージーランド・オーストラリア・南アフリカを巡る国際ツアーを実施
- ニュージーランドでドイツ人観光客と出会い、「エクストリームアイロンインターナショナル」と「ドイツ・エクストリームアイロニングセクション(GEIS)」が結成される
- 2003年:ショウは書籍 Extreme Ironing を出版
なお、起源については別説もある。1980年代にトニー・ハイアムが、キャンプ中にテントの中でアイロンがけをした変わり者の義兄弟に触発され、ヨークシャー・デールズ国立公園でアイロン台を持ち歩いたとされる記録も存在する。
世界選手権の概要
2002年 第1回エクストリームアイロンがけ世界選手権
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 開催年月 | 2002年9月 |
| 開催地 | ドイツ・バイエルン州ファレー(ミュンヘン近郊) |
| 参加チーム数 | 10カ国・12チーム |
| 参加国 | ドイツ・イギリス(GB1/2/3)・オーストラリア・オーストリア・チリ・クロアチア など |
| 競技種目 | 岩場・森・市街地・川・フリースタイルの5種目 |
| 優勝者 | ドイツ代表 イングア・コサック(522点) |
| 副賞 | ハワイ旅行・洗濯機・日用品 |
- 審査基準は「創造性」「仕上がりのシワの状態」「速さ」
- アイロンをかける衣類はTシャツ・ティータオル・ボクサーパンツなどが使用された
- 第1回以降、大規模な世界選手権は開催されていないが、各国の国内活動・記録挑戦は継続中
主な世界記録
高度・深度の記録
| 記録の種類 | 場所・状況 | 記録 |
|---|---|---|
| 最高高度 | アコンカグア山頂(アルゼンチン) | 標高6,959m |
| 次点高度 | キリマンジャロ山頂(アフリカ) | 標高5,859m |
| 水中最深 | エジプト沖(ダイブ・ガール) | 水深100m |
| 水中同時最多人数 | チェプストー石切場跡(イギリス、水温5度) | 86人が10分間同時実施(2009年) |
その他の記録
- フルマラソン完走しながらアイロンがけ:クリース・ライトニンがロンドンマラソン中に道具一式を携帯し、4時間8分で完走
- 地上20m・透明ケース内でのアイロンがけ:創始者ショウがクリスマス商戦期の繁華街上空で実施
電源のない場所でどうやってアイロンをかけるか
EIの技術的な核心のひとつが「熱源の確保」である。電気が使えない環境での主な対応策は以下の通り。
| 方法 | 概要 |
|---|---|
| 充電式アイロン | 事前に充電して持参 |
| 火延し鏝(ひのしごて) | 電気普及以前に使われていた加熱式の伝統的なアイロン |
| ガスバーナー | アイロン台の下から衣類を直接加熱 |
| 発電機の背負い上げ | 重装備で熱源ごと現地に持ち込む(松澤等のケース) |
| 火起こし | 道具ゼロの状態から現地で火を起こして開始 |
水中でのアイロンがけについては、電源なし(通電していない状態)で行われるケースもあり、パフォーマンス的な側面が強い。
日本における活動
組織と主な人物
- エクストリームアイロニングジャパン:2005年設立。代表は松澤等(Hitoshi Matsuzawa)
- メンバーに大塚、堤、金城、鳥井らが名を連ねる
- エクストリームアイロニストクラブ:代表はMAKI(杉本真樹)。TEDxでの登壇や各地でのプレゼンテーション活動を展開
富士山頂での記録更新の歴史
| 年 | 実施者 | 記録の内容 |
|---|---|---|
| 2006年 | 松澤等 | 25kgの発電機を背負って剣が峰(3,776m)に登頂。熱源確保済みでアイロンがけ成功 |
| 2014年 | MAKI(杉本真樹) | 高さ1mのアイロン台持参。3,777mの記録樹立 |
| 2022年 | TARO(橋本清太郎) | 高さ2mのアイロンを背負って登頂。3,778mの日本最高峰記録を達成 |
富士山は「聖地」として繰り返し挑戦が行われており、記録が年々1メートルずつ更新されている。
山岳以外の活動記録
- 相模湾の海底での水中アイロンがけ
- サーフィン中の「サーフクルージングアイロニング」
- カヌー中、バンジージャンプ中のアイロンがけ
- 福島・吾妻小富士の噴火口溶岩の上でのアイロンがけ(雑誌掲載済み)
普及活動と思想
- 松澤等は俳優・藤岡弘、を師として仰ぎ、アイロンがけに武道の精神を取り入れた「究極のアイロン掛け」を提唱
- 著書『そこにシワがあるから エクストリーム・アイロニング奮闘記』を出版(日本初の専門書)
- 「男のアイロン掛け」の概念普及を社会的活動として位置づけている
- 2014年には鹿児島大学でのTEDxに登壇。MAKIが「人生の神髄としてのエクストリームアイロンがけ」をテーマにプレゼンテーション
競技の評価とルールのまとめ
- 必須条件:実際にアイロンをかけること(ポーズだけでは不可)
- 場所:山の斜面・海中・空・凍った湖・バイクの上など、場所の選定は自由
- 審査基準:スタイル(創造性)・スピード・クオリティ(仕上がり)
- 現在の評価手段:SNS上の「いいね」数も参照される
- 競技者名称:アイロニスト(Ironist)
まとめ
エクストリームアイロンがけは、1997年のイギリスで「家事をしながら登山したい」という欲求から生まれたスポーツである。2002年の世界選手権を経て国際化し、日本では富士山頂での記録更新や武道との融合という独自の展開を見せている。
競技として何が問われているかといえば、「いかに過酷な場所で、実際にシワを伸ばせるか」に尽きる。技術・体力・創意工夫の三つが求められる点で、確かに「スポーツ」の要件を満たしている。
シャツのシワを伸ばすことと、命がけで山に登ることの組み合わせが、なぜこれほど世界各地に広まったのか。その答えは、今も水深100メートルの海底で通電していないアイロンを構えているダイバーが最もよく知っているかもしれない。
参考・参照・情報源
- ソース資料(本文添付):『そこにシワがあるから エクストリーム・アイロニング奮闘記』関連資料、エクストリームアイロニングジャパン活動記録
- Wikipedia: Extreme ironing / 1st Extreme Ironing World Championships
- Guinness World Records: Most Extreme Ironing World Championships
- Cool of the Wild: “Extreme Ironing: A Dangerous, Daring And Daft Pursuit”
- Facts.net: “Extreme Ironing: What is it And How it Became an Extreme Sport”
- Grokipedia: Extreme ironing
筆者のコメント

アイロンがけというのは、基本的に「家の中でやるもの」という認識が世間一般に広まっている。
フィル・ショウという人物は1997年、その認識に対して特に反論もせず、ただ山に持って行った。
以来、人類は水深100メートルの海底でも、標高6,959メートルの山頂でも、バンジージャンプの最中でも、シャツのシワを伸ばせることを確認し続けています。
めちゃくちゃ気になったのが我が日本記録です。富士山頂は3,776mです。最初の記録はこの3,776mですね。でもそこから記録が更新されています。え?と思いますが、高さのあるアイロン台を持ち込んで高さを稼ぐというなんともいえない記録の更新方法をしていました。富士山頂の記録が2006年から2022年にかけて毎回「1メートルずつ」更新されています。アイロン台の高さ分です。誰も突っ込んでいないのかは不明ですが、記録として公式に認定されています。次は絶対3メートルのアイロン台を持ち込む事でしょう。断言します。
松澤等さんは25キロの発電機を背負って富士山に登っています。アイロンをかけるために。この一文を読んで「なぜ?」と思う方は正常です。筆者もその発想がなかった側の人間でもあります。
己の発想力の無さ、柔軟性、ひらめきの無さに無力感を覚え、少し考えました。
が、すぐ今日の晩御飯のほうを気にすることにしました。
エクストリームアイロンがけが「スポーツ」かどうかについては各自で判断していただくとして、少なくとも「家事」の定義は、1997年以降かなり広がったと言えるんじゃないでしょうか。


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